2013年2月25日 月曜日
温故知新 その50

最近、めっぽう耳にすることの無くなった「ベンチャー企業」。


ベンチャーとは、道なき道を切り開き、勇敢にチャレンジしていく企業の総称だ。


言葉の発祥はやはりアメリカで、1980年代後半から日本でも注目されだした。


一時は「少人数で大企業をもしのぐ卓越した技術力」で一世を風靡したベンチャー企業も多数存在した。


私自身も日本でも草分け的な「新大阪ベンチャービジネスクラブ」に所属し、代表幹事として精力的に活動した。


当時、着実に成長を続け、今なお大きな成果を上げている企業もあれば、消えていった企業も多く見てきた。


そう言う意味では、代表幹事として思い悩んだし、日本でこのベンチャー企業を確固たる位置にとどめることの難しさを痛感した。


留まることができない理由はいくつかある。


ひとつは、資金調達の難しさである。アメリカと比較し、日本はいざ資金調達を行おうとすると銀行以外調達の方法が無い。


しかし、いくら卓越した技術力があっても、担保がないと銀行は融資を行わない。


一方、大きな夢を持ってチャレンジしようとする技術集団は「担保は我々の頭脳」と主張する、この大きなギャップが致命的であった。


アメリカでは希望と期待を持てる技術集団に対し、一般の投資家がポンッと数億円を投資する。


この土壌の差が大きな要因であったように思う。


 


しかし私はある時、資金調達以外の最も大きな要因に気付いた。


留まれない企業の共通したひとつの特徴がそこに潜んでいたのである。


それは、自分達が身を粉にして、最も得意である技術分野で開花し、大きな山を当て「ベンチャーの騎手」として注目される。今まで小さな貸し工場で頑張ってきたが、自社工場を持ち、社員数も増え、社内の体制を整え、「さあ、これから」と言う時に次の一手が空振りする。気を取り直して次の一手を講じるがそれも空振り。


どんどん資金状況が悪くなる。


これが大まか、留まれない企業のパターンだ。


そこには何が潜んでいるのか?


それは「顧客ニーズに対する思い込みと錯覚」である。


一回目の成功が大きければ大きいほど、この錯覚も大きくなる。


すなわち、「俺達が開発したものは必ず売れる!」と言う錯覚である。


留まることのできなかった大半の企業の社長は「市場は我々が作ればいい。我々の技術は必ず新しい市場を生み出しますよ」と言う意気込みがあった。


あみだくじで言うと、「私達が選んだコマをたどっていけば必ず当たりくじに到達する」と言う考えかもしれない。


それはある意味、企業経営者として必要な積極果敢な姿である。


しかし、バランスが崩れるとどうしようもなくなる。


 


大切なことは、まず顧客ニーズがどのあたりに潜在しているのか?を徹底的に分析することが必要ということではないだろうか?


確実に困っている顧客に対し、卓越した技術力で商品を提供していく冷静さが欠けると企業として成長はおろか、留まることすらできない。


厳しい環境の昨今、我々がなさねばならない使命をしっかり見据えて第二次ベンチャーブームが巻き起こることを期待したい。


「ベンチャー企業の騎手」としての意気込みだけは決して失わずに。