2011年10月27日 木曜日
温故知新 その22

雅楽師 東儀秀樹


 


ある時、彼が吹く篳篥の音色を聞いていると、無性に自分も吹きたくなった。


ネットで調べて雅楽専門店を見つけて飛び込んでいって一本の篳篥を購入した。


そうは簡単にいくものではないとは解っていながら「何とかなるんじゃない?」という安易な気持ちもあった。


一生懸命練習して、彼を驚かせてやろう!と頑張ってみた。


結果は「玉砕」・・・・。


音階どころかウンともスンとも音が出ない・・・・。


自分なりに結構頑張ったのだが、肺活量が持たない。


これはもうやっぱり聞く側に回るしかない。


いくらプロであり雅楽の第一人者であるとしても、彼は篳篥だけではなく笙や龍笛、ピアノも弾けばギターもやる。しかも全て一流。


良く考えてみると、千数百年と言う永い歴史に裏付けられた宮廷音楽家としての遺伝子が細胞の中に脈々と流れている彼と比べること自体がまったくナンセンスである。


しかも、彼は忙しい合間を縫ってクラシックカーやバイクを駆り、コンサートをこなし、ドラマの撮影もこなす。


それら全てを彼は心底楽しんでこなしている。これだけ多岐に亘るジャンルを、ここまで楽しめてる人ってそう希には居ない。


これだけ忙しくても「疲れている彼」を未だ見たことがない。


彼は「雅楽とは天・地・空を合わせる、つまり宇宙を創ること。天文の動きを何百年、何千年かけて図り得た統計学に基づいて構築されたものだからこそ自然(宇宙)と人間の調和などが考え抜かれた芸術であるということになる。」と語っている。


彼は宇宙空間を舞いながら、目の前にある興味あること、楽しいと感じること、感性を刺激すること、それら全てを受け入れ、そして楽しみ、そして自分のものにしてしまう、それが彼の才能なのかもしれない。


その才能を駆使して自分の使命を大いに楽しみながら実践する、そんな彼だからこそ為し得る「文化の継承」、それが彼の造り上げた新しい雅楽なのだとつくづく思う。


「温故知新」とは、まさに彼の生き様を表現する言葉にふさわしいと感じるのである。


先人の創り出した良い文化を、今を生きる我々は後世に伝える為の努力を一時も怠ってはならない。